会社立ち上げから、青ナンバー申請の手続きをするも、現状と法規とのあまりもの食い違いに、困惑す。すなわち「国土交通省が許認可する課税事業内での決定をしなければならない。」という項目、これは建築基準法で定められている制限及び規格だと思ってもらえば理解できよう。具体的には、運賃体系だが距離制運賃、及び時間制運賃のいづれのパターンも我が社は当てはまらないのだ。流動的な他の運送業社に対し、当社は固定的な収入売り上げの安定が見込めるため1台あたりの月間売り上げは給与の割には低く設定されているからだ。簡単に言えば、人件費率は売り上げの25%で設定しなければならないところ当社では52%を規定している。許認可を得るためには、このルールを守りその余力で労働環境と車両整備の充実に当てなければならないと言う。当然それらに具備した資本金の充実も図らなければならないと言う。現状の申請された内容では許認可はできないという5月時点での関東陸運局・宇都宮の裁可にての困惑だ。
現状に適合しない法規制に疑問を抱き、7月には関東陸運局・横浜を訪れる。法に合わない現状が間違っているのか、現状に合わない法が間違っているのかの話し合いである。合理化と経費削減をはかりながら、少しでも高い給与を支給することの行為を判断するに当たって、同業者の許認可の例をいくつか拝見するに付け、許認可を得るための適度な数値あわせが行われていることを知った。すなわち、現状と申請された数値が合致していないのだ。目的が健全なる経営なのか、許認可を得ることなのか、の目的違いが判明する。昭和30年代のままなのだ。それに合わせて申請許認可されていたのだ。現在は平成である。
結果、その問題に入り込むと許認可が遅れるので、この問題は先送りとし、とりあえず適当な書類数値に、してもらい、仮許認可を頂き、正式許認可は翌、平成15年4月の法改正後となる。
この年の6月に室井一夫、加入
これで人員がそろったので、酪農とちぎへ「コース請負」から「ゾーン請負」の内部的変更の同意をもらい、10コースから社内8コースへとコースの拡大と、それに伴う6t車から8t車の大型車両導入となる。運転手一人あたり月間6日、年間72日の休暇を確保。補充要因として、渡辺、高橋がこれを担当。同時に渡辺には運行管理責任者、高橋には車両整備責任者を兼任してもらう。
�蠧別撻肇薀鵐好優奪箸�出来るまでの経緯
平成13年7月、税務署及び税理士より農業従事者への財務意識の高揚での相談有り。 たまたま、私が若い頃、行政主催の社会教育に関連し、当時の青年団活動を知っていた。そのためか親近感を覚え、力になりたいと早速、渡辺清一さんと面会する。しかし農業用の決算申告よりも別な件に話が進展。それが集乳事業の法人化の話であった。 設立までの経緯および手順は以下の通り
8月26日、初めて全員と顔を合わせる。トラック部隊の結成と目指す組織概要を説明。
9月16日、新会社設立発起人会を開催、資本金を1000万円とする。
10月19日、第二回発起人会の開催、会社概要の決定。持株数平等にて出資。
11月16日、第三回発起人会の開催、代表、専務、常務、監査の役職を決定。
11月27日、公正証書の作成と出資金の受理、払込銀行は黒磯信用組合 ……が、なんと12月7日、黒信倒産!
12月17日、ゴタゴタの後、那須信用組合が払い込みを引受、法務局へ申請。
12月20日株式会社「栃木トランスネット」誕生 (^_^)/~ という具合で、明けて、作年の1月1日から事業開始。
高橋さんの集乳車に乗り合い、集乳の現場視察へ。まだ夜も明け切らぬ早朝4時に出発。運転の見事さに感心しながら、牛舎での牛のギョロッとした目にタジタジとし、生き物への畏敬にも似た感動も覚え、そして会うたびごとに酪農家の人達の人なつこい顔に新鮮な喜びを感じた。食の最前線に関われるという喜びが、私の中で大きな希望を感じたものでした。
�〇餠眥潅�のために、財務から事業計画書を作成し、 予算の確定を計り、それを実行していくこと。
�∧〕�厚生の充実のために、汗を流す人たちへの幸せを作り上げること。
�M鑁晴箸悗了抉臑寮�を立ち上げること。
この3本柱を会社人の主務として運営を開始。 嬉しいことにも全メンバーが理解し協力してくれた。 事業開始後半年間で通信簿で言えばオール5の財務ができ、異例ながら銀行より3000余万円の資金が調達ができた。 社会保険・厚生年金・退職金制度・定期健康診断の導入も同時に設定。 いよいよ次は酪農家への支援体制づくりだ。トランスネットに関係する人、皆が幸せに生きるために。 <湯田孝次記>
